芸術家として美食家として有名な北大路魯山人は、器に対してどのような考えを持っていたのでしょうか。『料理と食器』という著書を読んでみた。

「料理とはいうまでもなく、物をうまく食うための仕事である」
そこにおいて、
「食器なくして料理は成立しない」
さらに、
「自分の料理はこういう食器に盛りたいとか、こういう食器を使う場合には、料理をこういうふうにせねばならぬとか、いわば、器を含めて全体としての料理を考えるから見識が広く高くなってくる」
料理は食器と一体になった総合芸術と言いたいのでしょう。
私は白い器ばかりに料理を盛るというのには違和感を感じます。主役は料理だからでしょうか。皿が白ならどんな料理でもあうからでしょうか。
これは消極的な考えだと思います。
着る服で考えてみましょう。もしこのような考え方だと白い服がいいということになるのでしょうか。まわりを見渡してみればそんな人はごくわずかです。着る人を引き立たせるために様々な色と形の服を身に着けます。料理も同じだと思います。

「料理に伴って、それに連れ添う食器を選ばねばならぬ。もちろん、ひいては料理は食う座敷も、床の間の飾りもすべてがこれに伴ってくるが、そのもっとも密接なる食器について意を用いることが、まず、今日の料理家に望まねばならぬ第一項であろう」
北大路魯山人は、料理と食器だけの関係にとどまらず、そのまわりの空間も大切だと説いています。同感です。
空間のなかの食卓、食卓の上の器に盛られた美味しい料理というトータルの演出によって、よりすばらしい食事が楽しめるに違いありません。

『料理と食器』(北大路魯山人)
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